「鉄の女王」と呼ばれて、ロシアの女子フィギュアスケート界を引っ張っているエテリ・トゥトベリーゼさん。
ロシアの若い女子スケーターのほとんどがエテリコーチの門下生だと言われています。
そんなエテリさんの華々しい経歴が気になりますよね!
今回はエテリさんの経歴を、コーチに転身した過去や選手時代の実績も合わせてご紹介します。
エテリ・トゥトベリーゼの経歴
エテリさんは、過去には自身もフィギュアスケート選手でした。

しかし、大きな成績は残すことが出来ずに苦労した経歴の持ち主です。
早速、エテリさんの経歴を見ていきましょう!
音楽の英才教育を受ける
エテリさんは、1974年2月24日にモスクワで第5子として誕生しました。
グルジア人夫婦のもと、兄が1人、年の離れた姉が3人の大家族の中で末っ子として育ちます。
裕福な家庭ではなかったので、エテリさんはお兄さんのお下がりばかりを着ていたそうです。
それでもエテリさんの母親は、
娘には外国語と楽器の演奏をプロレベルで身に付けさせるべき!
という考えの持ち主でした。
エテリさんも音楽の英才教育を受けていて、音楽学校でピアノを専攻して優秀な成績を残して卒業しています。
そんなエテリさんは、4歳の時にフィギュアスケートと運命的な出会いを果たします!
4歳でスケートを始める
エテリさんがフィギュアスケートと出会ったのは、4歳の時です。




サッカーに出かけるお兄さんを、お母さんとエテリさんで送った時に訪れたスタジアムで、偶然スケートリンクを目にしました。
エテリさんは初めてフィギュアスケーターを見た時に、
ひとひらの大きな雪みたい
と感じて、とても感動したと明かしています。
エテリさんはその日のうちに「スケートをさせてほしい!」とお母さんを説得します。
エテリさんの若い頃の画像がもっと見たい方は、ぜひこちらの記事もチェックしてください↓




その熱意が本物だと悟ったお母さんは、優秀なスケートコーチと有名なエヴゲニヤ・ゼリコワコーチの教室にエテリさんを入れました。
プリナーコーチとの出会い
ゼリコワコーチの元では30人子どもたちがレッスンを受けていました。
しかし、最終的に残ったのは将来性のある5人の子供だけだったのです。
エテリさんはその5人の中に入ることができました。




エテリさん達はその後、ゼリコワコーチの夫・エドゥアルド・プリナーさんの指導を受けることになります。
これもエテリさんにとっては運命的な出会いになりました。
エテリによれば、他のコーチがどんなに言葉を尽くしても説明しきれないような複雑なエレメント(事)を、プリナーはわずかな言葉で説明できたという。
引用元:COURRIER
エテリさんにとってプリナーコーチの教え方はベストなものだったようです。
他のコーチは的確な表現を選ぶ能力が足りない。
だから教わっている方は何度も失敗して絶望することになる。
とも話していました。
今のエテリさんのコーチ像の根底にあるのは、プリナーコーチなのかもしれません。
ケガと副作用でシングルを諦める
プリナーコーチと頑張ると決めたエテリさんですが、なんと脊椎にヒビが入るという大怪我を負ってしまいます。




最初はほんの小さな痛みでしたが、ついに立てなくなるほどの激痛が走るようになったのです。
お母さんはエテリさんと一緒に病院を回って、カルシウム注射など治療に専念しました。
エテリさんはついに脊椎のヒビも完治しますが、その後に治療の副作用が出てしまいます。
なんと、3ヶ月で身長が22cmも伸びてしまったのです…!
エテリさんはスケートを続けたいと願いましたが、身長が伸びて体も大きくなったので
シングルでは結果が出せないのでは…?
と思うようになります。
シングルからアイスダンスへ
シングルでは結果を出せないと考えたエテリさんは、フィギュアスケートの中でも男女ペアで得点を競うアイスダンスへと転身します。
アイスダンスとは、男女一組のペアで特典を競うフィギュアスケート競技の1つです。
コーチも変えて、5人のコーチに教わることになります。
しかし、有望な門下生の引退をきっかけに辞めてしまったり、他の有望な選手にかかりきりなど、コーチに恵まれませんでした。
その結果、エテリさんはアイスダンスを始めても思うように結果を出すことはできなかったのです。
人生になんらかの変化が必要だと思った。
コーチに失望したエテリさんは、タイミングよく誘われたアメリカの海外公演を快諾して、スケートのパートナーと一緒に渡米を決めます。
アイスダンス選手からコーチに転職
しばらくはアイスダンス選手として活躍するエテリさんですが、壁に突き当たります。
アメリカでの生活も思うように行かず、ついには大きな事件にも巻き込まれてしまうのです。
エテリたちはアメリカで4年間リンクにいたが、その後、もっと穏やかな仕事がしたいと思った。それでニコライとエテリは、サン・アントニオでコーチとして新たな道を歩きはじめた。
引用元:COURRIER
それでもアメリカでのスケート活動を4年間続けますが、ついにパートナーのニコライ選手と話し合い、コーチとして新しい道を歩くことを決断しました。




最初はアメリカでコーチをしていましたが、ホームシックが激しくなりエテリさんはモスクワへ帰国してコーチ業を続けることになりました。
そして2014年のソチオリンピック団体戦…。
史上最年少で金メダリストとなったリプニツカヤ選手が突破口となり、エテリさんはコーチとして注目されるようになったのです。
エテリ・トゥトベリーゼのアイスダンス選手時代【画像】
エテリさんのアイスダンス選手時代の画像を発見しました↓




スタイル抜群でビックリしますね…!
パートナーのニコライさんとも息ピッタリで、まさに「ふたひらの大きな雪」と呼ばれていました。
エテリさんが10年以上積み重ねた努力を感じる、素晴らしい演技ですね。
エテリ・トゥトベリーゼの経歴まとめ
長くなったので、最後にエテリさんの経歴をまとめます。




4歳からフィギュアスケートを始める |
ケガをきっかけにシングルからアイスダンスへ転身 |
アメリカでの過酷な経験からコーチへ転身 |
ホームシックでロシアへ帰国 |
リプニツカヤ選手の活躍を受けて有名コーチとなる |
ロシアの女子フィギュアスケート界をコーチという立場から率いるエテリさん。
指導法には様々な意見がありますが、過去の経験から「つらい思いをするのは短時間でいい」と信念を抱いているのかもしれません。
問題になっているエテリさんの指導法について気になる人は、こちらの記事もあわせてご覧ください↓
ただ厳しいだけではなく、自身もつらい経験を何度も乗り越えてきたエテリさん。
これからも門下生が増えていき、世界で活躍していくのでしょう。